特別推進研究

 

研究の必要性

1.本研究分野の進展状況

遷移金属錯体の構造や反応過程の理論的研究は、最近20年間非常に活発に行なわれてきた。しかし、それらのほとんどはDFT法によるものである。申請者の一人(榊)は遷移金属錯体におけるDFT法の有効性を詳細に検討してきたが、エネルギー変化、特に、π共役系が遷移金属錯体と相互作用する場合の結合エネルギーを著しく過小評価することを指摘してきた。DFT法の適用性を検討した研究は多数あるが、それらはdispersion相互作用に関するものであり、遷移金属錯体に関する検討はほとんどない。申請者の研究成果はDFT法を正しく使用する場合に必要不可欠なものであり、国内外で高く評価されている。

 CCSD(T)法やSAC-CI法のような高精度電子状態理論はすでに提案されて久しいが、計算コストが高く、それを遷移金属錯体のような大規模系に応用することは不可能であった。申請者はFrontier-Orbital-Consistent Effective Potential法を開発し、実在系での電子的効果を損なうことなく、遷移金属を含む大規模系の高精度計算を可能とした。

 遷移金属や高周期へテロ元素化学種の理論化学研究は、榊、永瀬らにより活発に行なわれてきたが、いずれも、国際的にトップレベルの研究であり、彼らの研究よりもレベルの高い研究は無い。

特に、榊らによる錯体触媒反応の理論的研究は触媒作用のメカニズムを分子論的に明らかにしたもので、高く評価されている。永瀬らのケイ素多重結合に関する研究は、実験結果を予測し、また、ケイ素三重結合の本質を明らかにしたものであり、国際的評価が極めて高い。江原らの高精度スペクトル研究は実験精度を上回るものであり、実験分野での結果の理解に欠かせないものである。以上の様に、申請者らは現代の化学で重要な分野において重要な位置を占めて、研究活動を展開している。榊、永瀬、江原の3名が協力すれば、極めて強力な研究グループが出来、世界最先端の理論・計算分子科学研究が可能になると言っても過言でない

2.本研究の独創性と発想の経緯

申請者らは、特定領域研究「実在系の分子理論」を4年間にわたって行なってきた。「実在系の分子理論」研究の期間中FOC-EP法を開発したが、この方法は、最近、北浦らにより開発されたFMO法と組み合わせることにより、従来のFMO法以上の高い精度が達成できると考える。また、FOC-EP法は遷移金属錯体のみならず、金属表面の高精度クラスターモデル化にも有力であり、金属表面に吸着した吸着種の励起状態の高精度計算が可能となること言う新しい着想も得ている。これらにより、これまで電子状態理論が困難としてきた様々な研究対象に対して、DFT法では不可能な本質へのアプローチが可能となる。言い換えると、これまでは不可能であった研究対象に対して、高精度な理論化学・計算化学研究が展開可能となる。本研究は、このような方法論的な独創性を持っている。

また、最近の実験化学分野の進展により、理論的検討を待っている多数の研究対象が存在する。それらの一つは、遷移金属元素と高周期へテロ元素双方を含む共役化合物の非古典的な構造、結合性、電子状態である。このような化合物はDFT法のような電子状態理論では本質にアプローチすることが出来す、静的相関と動的相関を正しく評価する必要がある。従って、上で述べたように、我々が新しく開発する電子状態理論なくしては正しい検討が不可能なものである。また、得られた波動関数をFragmentの分子軌道や波動関数で展開することにより、電荷移動や分極相互作用を見積もることが可能となる。さらに、Fragmentの波動関数の一次結合で展開すれば、MO法的な見方とVB法的な見方双方からのアプローチが可能となる。この解析法も我々のoriginalなものである。これらの化合物は新しい結合論や分子構造の理解を必要として居り、化学結合論の新しい展開を達成する

金属や固体表面に吸着した吸着種の励起状態や分光化学研究は吸着種の化学に新しい展開をもたらしてくれるはずである。しかし、その高精度理論的研究はこれまで、不可能であった。我々の開発したFOC-EP法をSAC-CI法と組み合わせることにより、吸着種の励起状態の解明が可能となり、吸着種の光化学に新しい展開が可能となる。

遷移金属錯体による触媒反応の重要性は言うまでも無く、基礎および応用化学分野において今後も重要な研究対象である。これまで、DFT法を用いた個別の触媒反応の反応機構の理論的解明が行なわれてきた。もちろん、多くの成果が挙げられているが、予測や系統的な理解は十分ではない。我々の開発中のFOC-EP法を使用することにより、電子的効果と立体的効果を個別に見積もることが可能となる。このような電子的効果と立体的効果の高精度な理論的評価により、これまで以上に高精度な予測や触媒設計が可能となる。

3.期待される成果

化学の他分野、例えば、物理や生物学にない特徴は、新しい分子や分子集団を創成し、それらの機能を開発、あるいは、発見すること、そして、変換過程の本質を解明し、また、新しい変換過程を見出すことであると考える。これらは、いずれも分子、分子集団を電子のレベルで理解・制御することを必要とする。そのためには分子および分子集団の電子状態を正しく理解することが不可欠である。本研究では、大規模な分子および分子集団に適用可能な高精度電子状態理論を開発し、この方法により、分子および分子集団の正しい理解を通して、化学の進展に貢献する

具体的には、古典的な結合論では理解できないような新しい化学種、例えば、遷移金属と高周期ヘテロ元素を持つ複合系の結合や電子状態について、正しい非古典的な理解を電子レベルで示すことが可能となる。言わば新しい化学結合論や分子構造論の新展開が期待される。

一つの大きな進展は、金属や固体表面への吸着種の励起状態の分子科学的解明である。このような吸着種について高精度SAC-CI計算は不可能であったが、本研究で開発するFOC-EP法と組み合わせることにより、吸着種のSAC-CI計算が可能となり、励起状態の電子配置や構造について正しい知識が得られる。従って、吸着種の励起状態の解明が可能となり、吸着種の光化学に新しい展開が可能となる。最近、光触媒反応などでは表面吸着種の分子論的理解が不可欠であるが、本研究ではそのような分野に新しい展開をもたらすことが可能であると確信している。

化学反応の反応機構解明や本質の解明と共に、理論化学・計算化学には、反応予測と制御が求められている。本研究では、FOC-EP法を開発中であるが、この方法により、電子的効果と立体的効果の高精度な理論的評価が可能となる。従って、これまでは非常に困難であった予測や触媒設計が容易に実行可能となる。

以上のように、本研究では本質へのアプローチと言う学術面での成果とともに、例えば触媒予測や反応制御と言うような応用面での成果も大きい。本研究の成果は極めて大きいと確信する。

4.特別推進研究応募の理由および緊急性

本研究では、高度な理論開発とプログラム開発が必要である。このような開発は、優秀な博士研究員が比較的長期、例えば3年間程度従事して、初めて可能となる。それを物理化学・分子科学的研究に応用して成果を出すには、さらに2, 3年が必要である。従って、成果を最終的に出すには5年近い期間は最低限必要であり、基盤研究では対応できない。また、このような高いレベルの研究は大学院生では遂行することが困難であり、博士研究員により、初めて可能となる。博士課程を修了したばかりの博士研究員は学位を取得しても、実際の開発研究に従事する能力は乏しい。電子状態理論の開発、プログラム作成、実際の応用研究課題の組み立てを実地に習得して初めて一級の研究者に成長してゆく。本研究では、5年間の研究期間があることから、優秀な人材育成にもつながるものである。いずれも基盤研究や運営交付金では不可能である。

本申請で計画している理論・計算分子科学研究は、単にプログラムに入力して計算すれば達成できるというレベルのものではない。化学の知識、理論の知識、双方を持っている研究者が実験分野の化学者と共同した研究を行うことにより、初めて真の意味の成果を出すことが可能となる。そのような研究者は我が国は元より世界でも、ほとんど居らず、本研究を通じて育成してゆく必要もある。このためにも比較的長期の研究期間が必要である。このような研究者の育成こそが現在の化学に必要とされ、また、我が国の科学・技術の基盤強化につながるものである。

新しい分子の創成、新しい化学結合の創成は化学分野の永遠の研究課題である。本研究では理論化学・計算化学により、その正しい予測を示すことが可能である。かつて、我が国ではP=P二重結合、Si-Si三重結合の合成を世界に先立って成功させたが、それには理論化学・計算化学の貢献も大きい。本研究での予測は、この分野での一層の研究進展を可能とするものであり、本研究が必要不可欠であり、また、緊急に行なわれなくてはならない理由の一つでもある。

新反応の開発、特に、安価な第一遷移周期金属による新規触媒の開発は、基礎および応用化学で目下の急務となっている。本研究で開発するFOC-EP法により、このような反応開発、新規触媒開発が効率的に実行可能となる。この種の理論開発は、我々以外のグループはまったく行なっていない。緊急に開発すべき研究テーマであることは自明である。従って、本研究により、わが国の反応化学での進展は著しく加速され、大きな成果が期待される。

以上、本研究を緊急に展開しなくてはならない多数の理由がある。

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